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調べてくれました。そこで、思いがけない医師のお話しで、「命を救ってくれたストマイ注射の副作用で、後遺症が残る」ことを知らされ驚きました。
恵美子は、右の耳に微かに聴覚がありますが「ストマイつんぼ」となってしまったのです。
私どもは高度の難聴と診断され、「この子を立派に育てていこう」と誓い合いました。三十八年四月、酒田ろう学校に初めて幼稚部が設立され、恵美子を四歳一ヵ月で入学させることにしました。由美さんも一緒でした。
幼い我が子を手放すときの心境は大変に悲しく、寝顔を見ながら涙が止まりませんでした。
主人が慰めてくれ我に返りました。寄宿舎に着替えの荷物を送り、義母が送り迎えを引き受けてくれました。三十二年前、後髪を引かれる思いで娘を寄宿舎に残して、足早に走り帰った当時を思い出すたびに、胸がしめつけられる思いです。
幼稚部の先生は大内ヨシ先生で、熱心に絵カードなどを使って、口の開きを見て発音させ、教育してくださいました。寮母さんの大森智子先生は、恵美子が第二のママさんと呼んで慕って、お世話して頂きました。
校長先生は棚橋達雄先生で、よく「恵美、恵美」と可愛がってくれました。以来、酒田ろう学校の幼稚部、小学部、中学部に十年間お世話になり、さらに山形ろう学校の高等部、専攻科と進み、計十六年間、学校生活と寄宿舎生活を送りました。
学窓を巣立って恵美子は、社会人としてスタートしました。職場は紳士服の専門会社で、洋裁の二級を習得した技術を生かし、一生懸命働いてまいりました。主人のスーツも作ってくれ

 

 

 

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